歌われない町・名古屋。戦後、 地方主義の時代になって名古屋が困った点は、 歌謡曲の世界ではご当地ソングが流行し始めたのである。
それまで歌謡曲といえば東京や大阪 を歌ったものが圧倒的に多かった。例えば、大阪では、大阪・道頓堀・浪速・宗右衛門町・御堂筋・北新地・
・心斎橋・法善寺横町・キタなどがあり、東京には、東京・銀座・六本木・赤坂・新宿などロマン・人情などを喚起させる地名が歌謡曲にでてくる。
この二つの都市に対抗する気は名古屋人にはないから、流 行歌に関して名古屋は、半ば羨望を覚えながらも、東西の歌を低抗なく受け入れて
いた。また、日本のあちこちの観光地が歌われ出しても、これといった名所のない名古屋としては、ただ傍観 するしかなかった。 ところが、名古屋
より規模が小さく、たいした観光資源もなさそうな中堅都市まで歌われるよ うになったのである。
例えば、昭和40年から、の「函館の女」、「柳ケ瀬ブルース」、「小樽のひとよ」、「釧路の夜」、「伊勢佐木町ブルース」、「ブルーライ ト.ヨコハマ」、
などである。
ヒット曲をもたないやっかみから、シヨックは隠せず、一時は石原裕次郎を起用して「白い街」などという歌を作ったが、ヒツトしなかった。流行歌は
ヒツトしなけ れば意味がない。敗戦直後にはブギの女王笠置シズ子が「名古屋ブギー」(昭和24年)という 歌を歌ったこともあったが、ヒット
せず、いつのまにか名古屋の歌は当らないというジンクスが 出来上がってしまったのである。 歌謡曲と地名 、名古屋はなぜ歌われないのか、ある
いは名古屋の歌はなぜヒットしないのか。これは深刻な問 題であると同時に、興味深い問題である。
特に隣接する岐阜県のおよそ芸能の舞台とは縁のなかった同県の盛り場である柳 ケ瀬を歌った「柳ケ瀬ブルース」の大ヒットは、名古屋にとって
強烈なパンチとなったのである。
歌のヒットの要因があるように思われるのだが、歌詞の巧さは、雨、夜、酒、涙といった日本の演歌の常套句を連ねて、ロマンチックで意外性の
ある地名が必要なのである。どうも名古屋には何かを喚起する力のある地名に乏しい。
そこで、「名古屋の歌」騒動の事件が起こった。都市のイメージづくりには演歌が一番と判断した名古屋市 は、デザイン博が開かれた1989
年に公費で演歌を作り、イメージ.アツプを図ろうと、名古屋市は市制百周年を記念して「愛知・名古屋マイソング実行委員会」に名古屋をアピール
する歌を依頼し、補助金を支出した。こうして出来たの2つの歌の一つに「どんとこい名古屋」がある。
名古屋市は宣伝用にさらに補助金を支出し て六千本のカセットテープを購入したという のだから、熱の入れようが分かる。ところが、 明けて
1990年、週刊誌は、名古屋市長が「城がなければただの町」という歌詞にオカンムリ、という記事を載せた。これは市議会で取り上げられ
るほど問題になったのだが、結局は取材側の誤解 ということで決着がついた模様である。
ここに、 歌の歌詞を掲げて、その批判の内容を検討してみる。
「どんとこい名古屋」
1 日本列島 名古屋はおヘソ ヘソがなければただの島
酒は美味いし女は美人 おまけに人情がまた深い
どんとこい東からどんとこい南から
夢を夢を見たけりゃどんとこい どんとこい名古屋
2 日本晴れだよ 名古屋の都は 都がなければただの国
空もでかいし 心もでかい
名物だらけの 恋の味
どんとこい東からどんとこい南から 夢を夢を見たけりゃどんとこい
どんとこい名古屋
3 日本一だよ名古屋のお城 城がなければただの町
住めば天国あしたも晴れて 春夏秋冬いいところ
どんとこい東からどんとこい南から
夢を夢を見たけりゃどんとこい どんとこい名古屋
この歌詞を見れば、名古屋人ならずとも、首をかしげたくなるだろう。 歌詞の内容がつまらなく、いったいどこに名古屋をアピールするものがある
というのだろう。こ の二つの歌には、名古屋とか大ざっぱな外枠の地名はあっても、庶民レベルの地名 、町名がない。それは、すでに述べたよう
に、名古屋の地名(町名)の貧困さのせいだろう。
また理屈に合わな いところが多すぎる。例えば「名古屋がヘソ」というのは分からなくはないが、「ヘソ がなければただの島」
とは飛躍があり過ぎるのではないか。また、「酒は美味い」とあるが、名古屋に全国的に通用するいかなる銘柄があるのか知らない。「女は美人」
と勝手に決め ているが、無神経な表現である。「名物だらけ」というのも、 誇大広告に近い。「名古屋の城が日本一」という愛郷心は理解できなくは
ないが、姫路城や大阪城 と張り合えるとも思えない。なるほどと思わせるのは、「城がなければただの町」という文句。 これがあまりにも真実に
迫っていたがために、物議をかもしたのであろう。要するに、この「どんとこい名古屋」も、全体的に歌詞の程度が低くて、まともに論ずるに足らず、
また市民が誇りをもって歌える歌ではないのであ る。
「名古屋の歌」事件は、官庁が自らの役割をわきまえないため、市民団体から叱られるという、 滑稽な構図を浮き彫りにした。ここでは、取り締
まる側が取り締まられているのである。「名古屋の歌」の場合は官庁と演歌 のミスマッチの生んだ喜劇である。
名古屋は歌われないだけでなく、芝居や文学の世界にも描かれてこなかった。こうした特徴の ない町は、文化という面には不利なのである。