映画ユナイテッド93」、アメリカ同時テロの緊迫感を再現


 2001年9月11日、400m級の超高層ビル2棟を崩壊させて世界中を震撼させ、いまなお記憶に新しい米同時多発テロで、ハイジャックされた

4機のうち、目標に到達せず、ペンシルベニア郊外に墜落したユナイテッド航空93便。あのとき機内では何が起きていたのかを再現させた映画

である。

 「ユナイテッド93」は、離陸から墜落までの機内の様子を、残された資料や証言などにより可能な限り再現。テロリストたちに敢然と立ち向かい、

ホワイトハウス激突を防いだ乗客たちの勇気と恐怖、最後の瞬間を、機内の乗客と電話で話した遺族たちのインタビューを基に、できうる限り

リアルに、克明に再現した衝撃作である。

 監督はハリウッドの新鋭ポール・グリーングラスだが、TVドキュメンタリー出身の彼は、本作ではエンターテインメント的な手法はあえて排除した

。無名の俳優を配したドキュメンタリータッチの映画は、特定の人物に感情移入させない。出演者は無名俳優が中心に選ばれた。また、

リアリティを追求するために、パイロットや客室乗務員役にはその職業の経験者を起用した。特に管制官役の一部は、事件当時実際に勤務して

いた管制官が本人役を演じている。また、空港との無線等には、事件当時の実際の音声が一部使用されている。事件当日の管制官や軍

の関係者を本人役で出演させることで、緊迫した状況を見事に再現している。しかし、機内に実際にいた人間が一人も存命していない以上、

すべてが真実ではない。

事実と判明しているのは、午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪回

に乗り出す。午前 10時3分、ペンシルバニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィル(ワシントンD.C.から15分の場所)に、時速933kmもの猛スピード

で墜落した。公式の調査報告書では、乗客はコクピット内に進入できず、テロリストの操縦により機体を墜落させたと結論づけている。93便には、

日本人大学生1名が搭乗しており、日本へ帰国する為にサンフランシスコへ向かっていた最中に巻き込まれた。

作品HP(9・11映画「ユナイテッ ド93」)


 ワールドトレードセンタービル・ツインタワーの北棟は、8時46分にアメリカン航空11便の突入を受け、爆発炎上した。1機目の激突は数日前から

地元消防署の日常を取材していたフランスのテレビ局から派遣の兄弟によって偶然撮影され報道されている。この時点では多くのメディアが普通の

航空機事故として報じた。1機目の情報を受けたブッシュ大統領も事故だと考えた。

続いて、9時3分に南棟がユナイテッド航空175便の突入を受け、爆発炎上した。2機目の激突は1機目の激突後にテレビ中継を行っていた際に

発生し、世界各国に1機目の衝突を臨時ニュースとして国際中継していた間におこった出来事であるため、前代未聞かつ衝撃的な映像を多くの

人たちがリアルタイムで見る事となった(この時点で、事故ではなく故意に起こされた「事件」であることが認識された)。また、撮影クルーが多く

いた為、旅客機が激突する瞬間が多くのカメラマンにて撮影されている。

ツインタワーは、ジェット旅客機のボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたはずだった(あくまで衝突のダメージのみを換算され

ていたものであり、ジェット燃料の延焼による火災のダメージは換算されていなかった)。だが、実際に高速で突入した同サイズのボーイング767

によってビル上部は激しく損傷、漏れ出したジェット燃料は吹き抜けを通して下層階にまで達し、爆発的火災が発生した。次いで火災の熱により

耐火材が破壊された鉄骨の破断でタワーは強度を失い、9時59分に南棟が突入を受けた上部から砕けるように崩壊した。

北棟も10時28分に南棟と同様、砕けるように崩壊した。

かつて、世界最高を誇った400m級の超高層ツインタワーは両棟ともに完全に崩落するという大惨事に至った。

シカゴのシアーズタワー(高さ442m)もテロの標的となる恐れがある為、避難指示が出された。

 ツインタワーは特に北棟で人的被害が大きく、死者は約1,700人で、航空機に突撃されたフロアの階段は大きく破壊され炎上し避難経路が

遮断された92階以上の在館者全員が死亡したとされている。南棟も同様に激しく炎上したが、こちらは外側に少し反れて激突し反対側の階段の

損壊や延焼を免れたため、突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた人など十数名が無事避難していて、突入前の未然避難者も含める

と約7割の人が生還している。ただしこの時、炎上部より上にいた人の一部が、煙による苦痛や絶望感から飛び降りを行い、消防士や避難者の

一部が落下してきた人の巻き添えになり命を落とした。また崩壊時の破片や煙によりビル外でも数人が命を落としている。

北棟および南棟の崩落による影響で、敷地内の他の4つのビルも崩落・炎上し、敷地北隣の高層ビル・同センター7号棟もともに崩落。道路は

完全に封鎖、世界貿易センターの地下をターミナルとしていた地下鉄やパストレインもトンネルの崩落で走行不能に陥った。これらのことから

ニューヨークでは合計で2749人が死亡するという大惨事になった。

さらにこの2機は離陸したばかりの大陸横断旅客機であったため、激突時には大量の航空燃料を搭載していたことから、完全に鎮火するまで

数ヶ月を要している。この事件以降、ワールドセンタービル跡地はグラウンド・ゼロ(爆心地)とも呼ばれている。

 

内容

備考

ワールド・トレードセンター
(第一ビル・北棟)

One World Trade Center

午前 8時45分 テロにより旅客機・激突
(2001年9月11日)

午前 10時28分 ビル・崩壊
 

(96〜103階に激突)

417m(110階)

1975年・完成

ワールド・トレードセンター
(第二ビル・南棟)

Two World Trade Center

午前 9時3分 テロにより旅客機・激突
(2001年9月11日)

午前 10時5分 ビル・崩壊
 

(87〜93階に激突)

415m(110階)

1975年・完成

(上図、朝日新聞サイトより)


 テロ当日は北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)の年に一度行われる訓練の日であり、万全の防空体制で訓練に当たっているはずであ

った。しかし連邦航空局(FAA)からアメリカン航空11便ハイジャック発生の第一報が入ったのは8時40分ごろで、マサチューセッツ州の空軍基地

からF-15戦闘機2機がスクランブル発進したのは8時52分であった。

F-15はアメリカン航空11便を追跡するよう命じられたが、発進した時11便はすでに突入した後であった。管制室は途中からユナイテッド航空175

便を追跡させているつもりだったが、状況の把握ができておらず、パイロットも何を追跡しているか良くわからなかった。F-15は一度ロングアイ

ランド湾で待機するよう命じられ、ニューヨーク上空への進入を命じられたのは175便が突入した後であった。しかしF-15には旅客機攻撃の権限

が無く、突入を止めることは不可能であった。

ワシントンDCには、ノースカロライナ州上空で訓練していたF-16戦闘機3機が呼ばれたが、飛来したところで基地で待機するよう命じられた。

3機はアメリカン航空77便を追跡するよう命じられ再度発進したが、訓練のために燃料が不足し始め、さらに2機は訓練用の模擬弾しか装備して

いなかった。9時30分に別のF-16が3機発進し、ワシントン近くへ飛来したが、これには攻撃用のサイドワインダーが装備されたが、旅客機撃墜の

権限が与えられていなかった。しかし、結局77便に合流することは無く、9時38分にペンタゴンを攻撃された。

オハイオ州上空を飛行していたユナイテッド航空93便の近くには、積荷の搬送を行っていたC-130輸送機が飛行していたが、管制官から93便を

見つけて追跡するように命じられた。C-130は93便墜落の際、17マイル離れたところにおり、墜落の様子は見ていない。また、ワシントンから

実弾を搭載した1機のF-16が93便の追跡に向かったという話もある。

北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)から10時6分にスクランブル発進命令があった2機のF-16が発進したのは10時16分であった。さらに

事故から約10分後に現場はるか上空を戦闘機らしい航空機1機が通過するのを目撃された。NORADはFAAから93便墜落の報告を受けたのは

10時15分で、10分近くも93便の追跡を続けさせていた。

10時18分に、ブッシュ大統領は、ハイジャック機への攻撃を承認したが、軍部は誤った目標を撃墜することを恐れ、パイロットへは指示しなかった。

 連邦航空局FAAがアメリカ中のすべての空港の閉鎖の措置を決定したのはツインタワーへの2度目の攻撃の直後からで、9時45分には全米の

空港からの民間機の離陸が差し止められ、飛行中の民間機約4200台は直ちに最寄の空港へ着陸するよう通告された。

12時6分に、全民間機の強制着陸が完了した。


 事件当日、ブッシュ大統領はフロリダ州におり、小学校の授業を視察する予定であった。1機目のツインタワー攻撃の際には小学校へ向かう

専用車の中にいたが、このときは事故だと考えていた。ただし、一時的にホワイトハウスとの間で電話会議が行われた。また補佐官ら周辺も同じ

ように事故と考え、予定通り小学校へ入った。

授業視察中に2機目のツインタワー攻撃があり、補佐官から視察中のブッシュ大統領に「合衆国が攻撃されている」との報告を受けたが、

ブッシュ大統領はすぐに動かずに7分間、小学生の朗読を聞いていた。この事実は、後で波紋を呼んだ。隣室に待機していたシーク

レットサービスらも動かなかった。

朗読が終わるとブッシュ大統領は小学生を誉め、隣室で補佐官と話し、電話でライス補佐官と州知事に連絡した。その後、テレビカメラで国民へ

呼びかけ、9時30分頃に小学校から出発し、3マイルのところにある空港へ向かった。エアフォース・ワンが離陸したのは9時55分である。

このとき護衛の戦闘機は無かったが、このとき上空には、未だに連絡の取れない旅客機が11機あった。その後、空軍基地で事態の沈静化を待ち

、夕刻にワシントンDCへ帰還した。

チェイニー副大統領と数人の閣僚、ライス補佐官はホワイトハウスで執務を行っていた。彼らはツインタワーへの2度目の攻撃の直後、シーク

レットサービスにつれられて地下壕へ避難した。なお、ホワイトハウスの屋上には防空用のスティンガーミサイルが備え付けられている。

その後、閣僚らがヘリコプターで避難したのはユナイテッド航空93便が墜落した後だった。また、チェイニー副大統領は軍事補佐官に攻撃許可

を求められ、ブッシュ大統領が不在の為、乗っ取られた飛行機の撃墜を許可した。

しかし決定が出たのはユナイテッド航空93便が墜落した後だった。

ラムズフェルド国防長官は上級軍人と朝食をとった後、ペンタゴンの執務室へ入って議員と懇談していた。彼にツインタワー「攻撃」の知らせが

入ったのは、ペンタゴン攻撃のわずか2分前であり、アメリカン航空77便がワシントンに向かっていることは知らなかった。また、ペンタゴンには

ホワイトハウスのような防空装備が無い。攻撃の後、ラムズフェルド国防長官が建物の外へ出ると女性職員が血を流して倒れていた為、

彼女を抱えて避難し、救急車が来るまで看病していた。現場から避難したのはその後で、数十分が経過していた。

パウエル国務長官は南アメリカのペルーを訪問中であったが、ツインタワーおよびペンタゴンへの攻撃の報告を聞いてすぐに帰国した。

 

アメリカ連邦緊急事態管理庁による調査報告の概要(2002/05)

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