香港島の「最高峰」、標高約400メートルのビクトリアピークから見下ろす超高層ビル群(400m級1棟・300m級4棟含)の夜景は圧倒的な迫力
がある。
ビクトリアピークを目指す「ピークトラム」の車体が動き出すと、線路の周辺に立つ超高層ビル群が、凄い勢いで斜めに伸びてくるような錯覚に
襲われる。同時に、乗客が歓声を上げる。
この「ピークトラム」は、今年で開業117年を迎えた。10〜15分置きに出発するトラムは、最大斜度27度、全長1・4キロのレールの上を
山頂駅にある直径3メートルのドラムがケーブルを巻き上げている。1926年に電化されるまでは、蒸気でドラムを回していた。窓越しに見下ろす
摩天楼とビクトリア湾に、乗客が歓声を上げる光景は今も昔も変わらない。
ピークトラムは、1997年のアジア金融危機から新型肺炎SARSが流行した2003年まで、業績の低迷が続いていた。
「中国本土からのお客様に救われました」とピークトラムを運行する関係者は、そう言い切る。昨年の乗客数は約410万人で、そのうち約30%
が中国本土からの客だった。2003年までは1割程度だったというから、増え方はめざましい。
中国の中央政府と香港政府は03年、広州や北京、上海など本土の10都市の住民に限って、香港への個人旅行を解禁した。その年、本土
から66万人が個人で香港を訪問。解禁の対象は段階的に広がり、現在38都市に増えた。今年は9月までに405万人が個人旅行を楽しんだ。
団体を含めると本土の旅行者は917万人で、世界から集まる客の54%を占める。
4月からは約15億円余りを投じて、山頂の駅ビル「ピークタワー」を改装している。西洋料理だけだったレストランを増やして、中華料理やめん
料理の専門店を出させるのも、本土の観光客を意識してのことである。
ピークトラムが開通したのは1888年。山頂でホテルを開業していた英国の実業家が、客や山頂に住む香港総督府の高官らのために敷設した。
第2次世界大戦時には、日本軍がピークトラムを接収した。電力不足もあって運行は止まり、技術者たちは日本軍が使う爆弾作りにかり出された
という。運行が再開されたのは1945年である。
植民地時代は英国人、これからは中国本土の客が主役になる。香港が中国に返還され、「一国二制度」が始まって8年。政治や経済、社会制度
の違いを超えて、人々の往来は加速している。
神戸の地形は、香港と似ている。港から一気にそびえる六甲山(931m)の麓に街並みがひろがる。神戸の夜景は、日本の三大夜景といわれる
が、六甲山・掬星台から望む夜景は、スケール・光量とも他(函館・長崎)を圧倒し、日本一を誇る。神戸・大阪間に居住する1200万人の街並み
を望むことができる。
この展望台は、摩耶ケーブルからロープウェイを乗り継いで至る摩耶山頂にある。
しかし、この展望台からは、香港の超高層ビル群による圧倒的な迫力はないが、スケールの大きい洗練された夜景を望むことができる。
場である神戸ゴルフ倶楽部がある。外国人により開発された歴史のあるリゾートという点も、香港のビクトリアピークと似ている。
(神戸・掬星台の夜景)
(香港・ビクトリアピークの夜景)