都市の雑学と超高層ビル、特集6・横浜


(歴史)

 横浜は、辺境の漁村であったが 、幕末の黒船来航を契機に様相が一変した。横浜港の開港は1859(安政6)

年である。明治以降、横浜が東京の外港として発展し、横須賀は旧海軍の 軍港となり、鎌倉、逗子は東京人

の別荘地に、箱根は遊山地とな って繁栄したが、文化的には東京に吸収された。 「浜っ子は自由で杜交的で

明るい」といわれるが、それは歴史的 背景に起因する。「江戸っ子は三代、横浜は三日住めばハマッ子」 と

いわれるくらい、よそ者には住みやすい土地柄である。ちなみ に浜っ子が使い始めた「〜じゃん」なる方言は

、もともとは浜松弁である。

(中華街

 横浜の中華街は、年間1600万人の集客力を誇る世界一のチャイ ナタウンである。世界中にある中華街の中

でも、最も安全で健全な場所である。 1859 (安政6)年の横浜開港とともに、アメリカの貿易商が連れてきた 中

国人が山下地域でお粥を売り出したのが始まりで、彼らが横浜に居留するようになった。

(大都市・日本一の超高層ビル

横浜市は人口320万人の日本第2の大都市であるが、実質的には、大阪・名古屋に次いで日本第4の大都市

であろう。都市の活力の指標となる昼間人口では、大阪(380万)よりかなり少なく296万人で、人口密度に

おいては、35%程度である。また、大阪・名古屋に比較して経済的に、かなり劣っている。東京のベッドタウン

に成っているからである。また、経済的には城下町をも たない特異な土地柄である。幕末の開港とともに都

市化の核を得 た。横浜は開放的で明るい人びとが多いが、同じ時期に開港した神 戸のような文化は育って

いない。神戸の場合、大阪という大市場に隣接しているが、大阪とは異なる独白の文化を有している。し かし

横浜はすべて東京に吸収され、独自性はない。 東京への流出率は埼玉に続いて高い。隣接の埼玉や千葉

に比べ て高所得者が多いため、オピニオンリーダー層が多く、東京の市 場現象が最も早く浸透する。横浜市

民の4人に1人が東京に通勤し ている。東京市場の変動が最も早くあらわれる。

 また、特筆すべきは、日本一の超高層ビル・ランドマークタワー(296m)をもつ。何故、日本初の高さ・300m

にしなかったのか?これは、航空法の規制があるためである。三菱が、東京に300m級の超高層ビルを譲

るという憶測も流れた。周辺のみなとみらい地区には、多くの超高層ビルが建設されたが、東京都心への超高

層ビルの集中化により、同地区の開発は止まり、空き地が目立つ。

高級住宅地)

 「鎌倉」「湘南」は、ハイグレードな感覚でとらえられて いる。鎌食は、昭和の初めにかけては高級な避暑地で、

多くの文学者を引きつけた。湘南は環境的な影響で、いまでも若者に人気があり、横浜は気質がドライであると

ころから人気が高い。 いずれにせよ、東京圏の中では最もリッチな感覚でとらえら れ、引越しするなら神奈川

が第1候補にあげられる。こうした感覚 は埼玉・千葉にはない。 神奈川は、東京の需要動向を最も早く受け

る地域である。東京 でブーム化すると、神奈川・埼玉・千葉の順となる。この点は、 広域首都圏を考える場合

、きわめて重要な指標となる。

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