都市の雑学と超高層ビル、特集4・京都


(歴史)

京都は四方を山に囲まれた典型的な盆地で、冬は底冷えし、夏は暑いという土地柄である。5世紀頃、山城平

野を中心に、開墾が始まり、高度な技術で都市が形成された。古くから自然条件が整い、諸国の都市建設の

基準となった。

明治維新後、京都が首都にならなかったのは、大阪遷都を計画し、その計画が挫折し、東京遷都を計画した

大久保利通の案が採用されたからである。「天皇は雲の上の人であってはならない。これからは人民の中に

出てゆかねばならない。それには古い慣習に満ちた京都を出て遷都するのが得策」という思想であった。

これに対して京都の人間は猛反対した。そこで明治政府は、天皇が東京に移ることの見返りとして、多額の金銭

を払うことで解決した。

 「上方」は、将軍家のある江戸に対し、天皇がいるところという意味で用いられた。上方のルーツは本来、京

都であるが、大阪の町人文化が京都以上に隆盛したため、大阪のことを上方というようになった。

ちなみに江戸時代、幕府の大商人抑制政策により、旧来の商家にかわって近江、美濃、伊勢の商人が経済

の実権を握った。これらの商人は大阪にも進出したことから、京都・大阪を一丸とする上方経済圏が成立した。

(風土)

隣県である奈良に対しても「よそ者」「田舎者」という目で見る土地柄である。京都には「奈良化」という隠語が

あるが、これには「同じ古都でも、京都は違う」という潜在的な誇りが込められている。

それほどよそ者に対して冷たい。たとえば有名な逸話に「京のぶぶ漬け」がある。客がそろそろ帰ろうとすると

、「もうちょっとゆっくりしとくれやす。ぶぷ漬けでもお一つ、どうどす」とすすめてくる。しかしこれは「早く帰れ」と

いう意味である。京都の人間は、表面はていねいだが、ある種の近寄り難さを感じさせる土地柄である。京都

の人間は、どんなに京都のことを悪くいっても、心の底では京都が一番と思っている。

 伝統の技や、茶の湯を取り巻く関連企業が京都の経済に与えてきた影響は計り知れない。茶席への衣装を

つくることで西陣織が成長し、建築、工芸、食品など、産業の大半が関わってきた。干利休を祖とする表千家

、裏千家が有名である。

京料理は華やかなイメージで食べる雰囲気がある。酒宴に供される酒も、プライドの高い京都の人間の好み

を反映してか、高級な酒のシェアが圧倒的に高い。また京都は家元産業のルーツで、華道、茶道、謡、日本

舞踊が盛んである。西陣織の総出荷額は年々減少気味だが、「京の着倒れ」はいまでも健在である。

 京都は、学者、芸術家、学生を大切にする土地柄である・事実、多くの文化人、ノーベル賞学者がこの地から

輩出している。町をあげて学問や芸術を育成しようとする雰囲気が強い。京都の人間は「ケチ」といわれるが

一方で学生を優遇する風習があり、人間の知恵に敬意を払う。、学生の数が多く、人口あたりの大学数と短

大数は全国第1位である。

よく「値切りの大阪」といわれるが、大阪の場合、いったん契約したら、あとはうるさいことをいわない。ところが

京都は違う。「京都の4回値引き」なる商法があり、4回値引き」とは、まず見積書段階で値引き、次に請求書

段階で値切り、さらに支払い段階でも値切り、入金段階で端数を値切るというすごさである。

 県外人の誰もが、「京都の人間は本音で発言しない」「必要以上に気位が高い」というほど、京都はつかみど

ころのない土地柄である。これは、平安の時代から同じ土地で商売を営んできた結果、商売相手の感情を傷

つけずに断わる言い回しが発達したためである。

京都の人間は、閉鎖的で、決断力が乏しい・忍耐力・持久力はあるが、突進力がない。批判力はあるが、実

行力がなく、そのうえ非合理的であるといわれる。公私の区別をはっきりつけ、自分のスタイルをきっちり守り、

会杜においても上司の干渉を極端に嫌う気質が根強くある。京都の人間に最も嫌われるタイプを調べると、「

初対面ですぐ腹を割る人」である。

京都の人間に、「最も親しみを感じる県はどこか」「住みたい県はどこか」とたずねると、「京都」が第1位にラン

クされる。京都の人間には、「京都が一番、日本で優れている」と思っている。都があったという自負のあらわ

れであろう。

東北で関西のイメージを聞いてみると、京都については、「一生の間に一度は住んでみたい」と答え、「なぜ?

」とたずねると、「京女、きれい、京言葉」という答えが返ってくる。ちなみに大阪のイメージは、「怖い、ヤクザ、

ケチ」となる。同じ関西でも、「大阪」と答える人は皆無に近い。

アンケートによると、京都は、「親しみを感じる県」「住んでみたい県」の上位に入る。しかし実際に住んでみると

、見た目と現実との落差がこれほどあるところはないそうである。京都の人間は、口には出さないものの東京

に対する反発が強く、大阪は「品がない街」と思い、その他の都市に至っては何の関心もない。

 京都の人間の出身地は北陸・山陰が圧倒的に多く、大阪に出られなかった人たちのたまり場でもあった。商

売では大阪に勝てないことを悟った京都の人間は、皇室という権威と文化の伝統をかつぐようになった。

(経済)

1960年代から70年代にかけて、任天堂、村田製作所、オムロン、ワコール、そして京セラなどの企業が次々

と上場し、京都は研究開発企業のメッカとして脚光を浴びた。花札からファミコン、陶磁器からセラミックスとい

うように、伝統産業から先端企業がこの頃に花開いた。これに続く中小企業も、特定分野で他の追撃を受け

ない技術を開発した。しかし1990年代に入ると・和装や観光産業などの京都独自の伝統産業の不振が目だつ

ようになり、先端産業に影響をおよぼしている。最近では、若手経営者に経営手法を伝授する活動が活発化し

、ベンチャー企業の復活に情熱を燃やしている。

 京都には、伝統文化を保存し、景観を保護しながら、経済を活性化しなくてはならないという宿命がある。し

かし経済を優先すれば、高層ビル建築に抽車がかかり、景観の保全を優先すれば、名所、旧跡を特定し、周

辺地区の建物を低く抑えなければならない。京都は相反する文明と文化の境にある。

すでに京都の美は失われつつある。夢の波と称された瓦屋根の民家が次々とつぶされ、細長いコンクリート

の建物に変わっている。東京や大阪の業者に買い荒らされ、京都の町家はマンションに変わりつつある。多く

人口を擁しながら細い道が多く、交通渋滞が漫性化し、下水道の普及率も72%程度で、全国の都市のうち

50番目という有様である。スーパーマーケットが進出しづらい市場風土といわれる。

(京都と高層ビル)

 景観保全か土地の高度利用か。以前から、高層ビル建設の是非を問う「景観論争」で揺れている。改築の

ため取り壊し、京都ホテルがある中京区河原町の一帯は、市の中心部で、都市計画で高さ限度は45メー

トル。しかし、公開空き地を提供することで、京都市から高さの割り増しを認める総合設計制度の適用を受け

て60メートルの高層化を実現した。

 一方、京都駅ビルは、国際デザインコンペで最優秀作の原案に沿って建設され、駅ビルの高さは59.8メー

トルである。

 こうした景観論争は、松下興産の所有地再開発構想などにも大きな影響を与えている。所有地は京都駅南

側にある約2万5000平方メートルの土地。京都商工会議所の「経済センター」を核に70〜90メートルの

ほぼ超高層ビル・五棟のビジネスパークを建設する構想だが、練り直しを余儀なくされ、高さや全体規模の縮

小などについて京都市と協議した。当事者の松下興産は「高さだけが景観や環境を破壊するのではないと思う

」と頭をかかえる。

 街づくり特別委員会の委員長は、個人的見解としながらも「都市再開発など近代化が遅れる都市は衰退し

ていく」と警告する。現在、京都には、超高層ビルが1棟あり、南区の日本電産新本社ビルで、高さは、約100

m(21階)である。

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