都市の雑学と超高層ビル・特集1(東京)


(歴史)

京都・大坂などが、大都市として発達していたころ、豊臣秀吉に命令され、徳川家康が入府した1590(天正18)

年頃の江戸は低湿地の一寒村にすぎなかった。18世紀に入ると、130万人前後の人口に達し、世界最大級

1OO万都市がすでに形成されていた。

 家康の政策は道路の区画整理であった。江戸の螺旋状道路の開発である。大阪の直線道路を見た家康は

、直線道路は鉄砲の時代にふさわしくなく、防衛上に欠陥があると判断し、江戸全域を螺旋状の形にした。こ

の点は、現在の基礎となり、雑多な都市景観の重要な要素になり、超高層ビルの建設の障害となっている。

その後、参勤交代や江戸への物資交流のため、主要五街道の整備開発を行なった。全街道筋を放射線状

にし、最終点を1カ所に集中させた。これが、現在の交通障害・通勤地獄のもととなっている。江戸と京を結ぶ

東海道、日光街道、信州下諏訪と甲州を縞ぶ甲州街道(軍道)、江戸と白河を結ぶ奥羽街道・板橋から出て高

崎に抜け下諏訪で甲州街道と結ぶ中山道など五街道には、警備と関所を設け、幕府直轄体制の基盤が確立

された。

各地に藩が形成されると、参勤交代による諸藩との江戸交流が始まり、流入人口が急増した。「江戸は諸国

のはきだめ」の場となり、その後260年にわたって江戸文化が栄える。

100万都市・江戸は、農村からきた次男坊らによって支えられていた。彼らは田地を相続できないから、奉公し

て商売を身につけた。大工、左官、屋根ふき、金属細工、船具づくり、鍛冶、鋳物、織物、陶器焼きなどの徒

弟になり、手に職をつけた。「職人は金を貯めるな。宵越しの金は持つな」。つまりいい腕を磨けば金は自然に

ついてくる、と親方は教えた。地方から流入した人びとは、日本一の町という誇りもあってか、大見栄をきる気

風が育った。「大火事と大喧嘩は江戸の花」など、やたらに「大」の字をつけたがる虚栄心が生まれた。

1880(明治13)年には116万人になり、同時に、京都、大阪はもとより名古屋、神戸、横浜が10万以上の都市に成

長していた。現在の六大都市の骨格が形成されたのである。

明治に入ると、薩摩、長州、土佐などの武士が新たな支配者として登場したが、ここで生まれたのが「山の手」

である。

1962(昭和37)年、東京都の人口はついに1000万人を突破した。敗戦時の349万人が17年間で650万人もの

爆発的増加を見せた。地方からの流入人口が70%を占めた。その結果、道路、住宅、上下水道のどれも整備

が追いつかず、パニック状態となった。当時、東京の道路率(全面積中の道路の割合)は10%強。ワシントン

43%、ニューヨークの35%、ロンドンの23%とは比較にならないほど低かった。この時点で、各国の大都市に

都市基盤で大きく差をつけられている。しかも自動車は激増し、交通地獄となる。

2階建て道路(首都高速)が誕生したのはこのころで、この高速道路は、海外、国内の阪神高速に比較しても

狭かった。ゴミや尿処理では、当時の下水道普及率は20%程度で、都内に843台のバキュームカーが走り、

糞尿を汲み取っていた。住宅不足は深刻をはるかに通り越した状態であった。

(経済)

上場企業の多くが、東京に集中している。日本の経済を牽引し、まさに一極集中の結果となった。

しかし、子育てで家庭を持った瞬間から、東京は住みにくく、中年男性にはゆとりはなくなった。東京の豊かさ

を実感できるのは、一部の独身男性とOLである。異常な人口の集中化は、地域に根づいた文化を崩壊し、す

でに固有の文化など東京にはほとんどない。毎日のように通勤満員電車での地獄が1日に二度繰り返される

。にもかかわらず暴動が起きないのは、日本人特有の気質がある。

イギリスの経済誌の調査・研究機関EICが発表(1996年9月)した世界121都市の生活費調査(ニューヨーク

100として)で、東京171、阪神圏(大阪・神戸)163と、世界第1位と2位を占めた。

3000万人と膨れ上がった人口の集中化現象は・同心円状に拡散・化し始める。100q圏構想に拡大する方

向になりつつある。100qを円図にすると、静岡の伊東から富士、高崎・水戸・銚子まで含め広域首都圏

となる。地価の高騰は、住宅難となり100q郊外から通勤するという異常な時代にはいった。

地方から流入した人びとは、地方に多彩に存在する多様な生活様式をかなぐり捨てて、東京志向に同化する。

行動を共にした・地方の人びとは、その時代に発生する東京の新しい文化と錯覚し、われもわれもと発生する

現象に精力的に同化していったのである。

人口の流入流出が最も激しい東京、毎年20%の人口が入れ替わっている。このように離合集散が激しいと、

人と人との関わりがなくなり、非人格的となり・個人主義が台頭し始める。そのうえ、核家族化や単身高齢化

の増加に空車がかかり、地域に文化が育たないと同時に・日本人の帰属意識は消滅していくのである。

(大部分が地方出身者)

下町の「江戸っ子」気質は、いまや8%しか存在していない。推定でいえば全人口の90%はよそ者であり、田舎

者である。そのうちの大半が帰省客に変身する。そうなると、帰省後に「大東京の流行現象」が正当化され、

日本人に潜在的にある中央志向が顔を出して、東京現象がすべて肯定される。

隣接3県からの昼間流入人口は、神奈川が97万人、埼玉が104万人、千葉が87万人である。3県の全人口数

は2091万人であるから、14%が毎日都内に流入してくるのである。

次回からの特集の予定は、大阪・名古屋・京都・横浜・神戸・札幌・福岡・さいたまと続く・・・・・・・・・・・。

 

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